PPPCC

脱力系、猫と育児と栽培(水耕、プランター)と日々の思いをつらつらと

ご飯を一気に3合食べるという行為

その昔、僕は破滅的な食生活を送っていました。

 

朝昼は何も食べず

夜にだけご飯を3合も食べるのです。

 

当時は一人暮らしをしており

食事に対しては

いかに手を抜くかが最重要事項でした。

 

その結果、朝昼「食べない」を選択

夜にまとめて1日分(以上)の栄養を摂取して

「最高な効率を発見した」と

悦に入ってたのでした。

 

するとどうでしょう。

体重がみるみる増えていきました。

30歳手前だった当時

身長170センチの僕の体重は

55キロほどのガリガリもやし野郎でしたが

一気に10キロ近くも増えました。

なぜか顔には出ずにお腹周りだけポッコリ

俗に言うビールッパラというやつです。

 

さすがに焦りました。

脱ぐと「エヴァ初号機」と揶揄されていた

シルエットは、もう見る影もありません。

そこにあるのは、悲しげに膨らんだ腹部。

さしずめ、信楽焼の狸といったところです。

 

これに懲りて、効率至上主義の

食生活に別れを告げ

 

朝抜いて昼夜食べる、1日2色に戻りましたところ

体重も減り、お腹もスッキリし

ガリガリに戻ることはありませんでしたが

BMI20.8という理想的な数値に落ち着いています。

 

余談ですが、夜3合の時期

食べ終えるとすぐ強烈な眠気に襲われ

そのままソファーで寝落ちする。

という今考えると恐ろしい症状に

多々見舞われておりました。

 

おそらくというか確実に

血糖値が原因なのですが

未だにその頃のその症状が

後遺症になって現れやしないかと

内心ビクビクしているのです。

ex)腎臓的な何か。。

夫婦の食卓

昔から、親の厳しいしつけにより

好き嫌いなく何でも食べる習慣を

会得しておりました僕でした。

 

そのため偏食家ではないと自負がありましたが

結婚を機に、偏食家の自覚を持たざるをえなくなってきました。

 

嫌いな食べ物は特別ないのですが

好きな食べ物ばかり食べていることに気がついたのです。

しかも、味に変化を求めず

毎食同じものでも飽きずに食べてきた

一人暮らしを経ているので

極力料理に労力をかけたくないという意識があり

それを妻にも強要してしまっていました。

若干今もです。

 

そんなある日、妻がキレます。

やってられるかと。

野菜も食わせんかいと。

好きな料理させんかいと。

 

ごもっとも。

グーの音も出ません。

 

その日を境に、徐々に妻に食のルールを

任せるようになりました。

 

今では、夫婦間お互いの最大限の譲歩として

胡瓜or大根の漬物(バリウマ!)が

副菜として食卓に登場するようになりました。

 

これは、ポン酢大好きな僕に合わせて

塩もみした胡瓜or大根を

ポン酢、醤油、麺つゆ、塩昆布、鷹の爪に

浅くつけたシロモノなのですが

無意識に箸が伸びるウマさで

ポリポリ箸休め的に食べてしまいます。

僕が作ってもあの味になりません。

文字通り胃袋を掴まれた構図になってます。

悔しいです。

 

かくして、あまり気にしていなかった

野菜の摂取量も格段に増え

健康にいい食生活を送れています。

 

予防医学が叫ばれて久しい昨今。

自分達の体は自分達で管理する。

という至極当然の事に気付かせてくれた妻に

今日も感謝が止まりません。

 

ありがとうありがとう

ありがとうとは

ありがとうと言われることって

慣れませんね。

もうかれこれ30年ほどは

ありがとうと言われ続けておりますが

慣れませんね。

 

まず、ありがとうと言われるために

動いていないってことが大きいと思います。

ありがとうと言ってくれてありがたい

とすら思えてしまいます。

 

もうそうなったら無限ループで

感謝の応酬になり収拾がつきません。

 

ありがとうの返し

ありがとうと言われたら

「どういたしまして」が

定型文として教わりますが

ある程度お年を終えされた方は

「どういたしまして」と言うでしょうか。

 

答えは「ノー」です。

「どういたしまして」と言っている大人を

見たことがありません。

「どういたしまして」はどうやら

上から目線な印象を与えるようです。

だったら初めから教えなきゃいいのに。

 

かくいう僕もありがとうと言われたら

「こちらこそ〜」などと言って茶を濁すのが

精一杯の対応です。

 

ありがとう対処法

何と言っても「先手必勝」

先にありがとうと言ってしまう。

この一点に尽きます。

そうすれば返しに困ることはないでしょう。

ただ一点。

なんだかトンチンカンな空気に

覆われること必須なので

その空気を処理できるスキルがおありなら

やってみる価値はあるでしょう。

 

 

その日暮らしのヒグラシ

今は割と山の中に住んでいて

必須スキルとして

「虫(カエル含む)とのお戯れ」

が求められます。

 

油断すると至近距離に虫(カエル含む)が

いて、それに驚かない。というスキルです。

 

僕は、もののけ姫でいうと

「タタラ場ともののけの森のちょうど中間」

という環境で生まれ育っており

すでに上記のスキルは身につけているので

蚊以外は歓迎なのですが

(海外の蚊以外の虫。という洒落を思いつきました)

 

妻は平成たぬき合戦ぽんぽこでいうと

開発前の多摩ニュータウン

開発後の多摩ニュータウン

ちょうど中間のようなところで

育っているので、スキルはお持ちかな?

(お餅ははお持ち。以下同文)

と思っていたら見事に持っておらず

虫、カエルに出くわすとヒーヒー

言うとります。

 

そんな中、非常に清々しい経験を

毎朝しております。

 

時刻にすると4:30頃でしょうか。

まだ夜も明けきらない、薄暗い最中。

遠くでヒグラシが「カナカナカナカナー」

と鳴き出します。

すると、違う方角から

「カナカナカナカナー」と

呼応するように泣くのが聞こえます。

それが連続してだんだん近づいてくるのです。

 

もちろんそれまでは無音。

天然の5.1サラウンド。

耳が口だったら垂涎ものの極上体験です。

 

ちょっと何言ってるかわからなくなってきましたのは

先ほどその体験をして

聴力に脳力を持って行かれているからなのでしょう。

(現在5:10)

469785

bitcoinの最高値が更新されました。

46万円を突破して一時は47万円に届くかと

思わせる急騰ぶりでした。

 

22:00現在では44万円台に落ち着いたようですが

ここまでのジェットコースターチャートは

仮想通貨市場珍しい事態でした。

 

面白いことに、そんな今日は

日本で言うところのお盆初日だということ。

すなわち、休日だということ。

 

bitcoinの取引通貨の半部を日本円が

占めているというデータが物語っているように

日本人のbitocoinへの関心が高いようです。

 

しかし、せっかくの史上初の

国家の介入しない貨幣概念の筈の

仮想通貨を代表するbitcoinの取引通貨の半分を

日本円が占めているというのは

どこか残念な感じがするのは僕だけでしょうか。

 

もっと世界的に普及して

全世界通貨が満遍なく取引を始めた時が

この仮想通貨の概念が

本領発揮し始めるタイミングなのでしょう。

 

その時世界にどんな革命が起こるのか

楽しみでなりません。

人類の進化について

北のミサイルが日本とかグアムとか

そっち方面に向いているという

どこか誇らしげな感じを含ませて

報じられています。

 

北はいつもそうで

決定的な事は避けて

表面化するかしないか

ギリギリの線を攻めてきます。

 

他国の「ま、いっか」を

絶妙なラインでついてきます。

一応の抗議活動は、「形式上」

するものの、それ以上は動きません。

前回とさほど変わった行動を起こさないので

対応側も前回と変わらない行動しかできないのです。

 

北はその辺うまいです。

伊達に各国にスパイを送り込んで

情報を集めまくってません。

 

こいつはこれくらいやったら

これくらい怒る、というデータが

おありなのでしょう。

 

 

生後生存率がある数字を下回った時点で

その生物の進化は終わる

と言われています。

 

人間の生後生存率は0です。

生まれ落ちた人間に何の手助けをしなければ

100パーセント死にます。

人間は進化を止めたことになります。

 

だから自分を変えることでなく

周りの環境を変えることに尽力しているのです。

 

全人類はこの自覚を明確に持った方が良いでしょう。

自分が変わることなく環境を変えて生き延びようとする

生物がかつてこの地球上に存在したでしょうか。

 

人間より前からあった陸地に

後からノコノコとやって来た人間が勝手に線を引き

その線ごとに争いを起こす。

こんな勝手が許されるでしょうか。

 

常々暴力は愚かさの頂点と思っている身としては

この時期はその思いに拍車がかかってしますのでした。

文化の慣性の法則

土用の日にうなぎを食べるなんてことは

生まれてこのかたやったことはないけれども

何やらスーパーの鮮魚売り場近辺の雰囲気で

毎度気づかされはします。

 

かといって近づきはするものの

値段を見て、高いね〜などと

茶を濁し、売り場から離れることが

一連の流れとして定番化しています。

 

今回も恐らく過ぎましたが

先日土用の日を迎えました。

毎度おなじみスーパーの鮮魚売り場

近辺のざわつきによって気がつきました。

 

数年前からでしょうか。

うなぎが絶滅危惧種並みの扱いを

受けているなあとは何となく

気になっていました。

 

何でもうなぎの稚魚が確保できないらしい。と。

その昔、学研的な知識得れる系雑誌によって

うなぎの生態は未だ解明されていない。

という事実を知ってはいましたが

時は過ぎ、あれから20年近く経過しました。

さすがにもう解明されたかな?

なんて思っていましたが

何とまだ解明されていないというではないか。

何やってるんだ人類。

 

カメムシが臭すぎてその生態が明かされないとは

わけが違うではないか。

うなぎは美味しいんだ。

僕も割と好きなんだ。

もうちょい値段が下がれば

定期的に食べたい食材であることは

間違いのないことなんだ。

 

と息巻いてみても

解明されていないことには仕方がありません。

 

そこで、疑問があります。

土用の日にうなぎを食べちゃえる人に対してです。

 

絶滅危惧種ってそんなやたらと

食べちゃえるの?と。

何で?美味しいから?土用の日だから?

文化だから?今までやってきたから?

絶滅危惧種って知らないから?

 

僕にはうなぎが絶滅危惧種である事を

判断する事はできません。

調べる事もしません。

割とどうでもいい部類だからです。

 

ただの土用の日に対する関心の低さに起因した

鬱屈した考え方かもしれません。

 

ただ、僕個人としましては

長年続けてきた文化よりも

優先すべき事はある気がしています。

 

※僕は平賀源内は好きです。

(四国にある記念館に行く程)